小諸オモシロ農家

10人いれば10通りの農とのかかわり方があります。

小諸市農ライフアンバサダーの武藤千春が、この地で農を営む

オモシロ農家の生き生きとした活力溢れる農ライフをお届け。

 


 

今回のオモシロ農家 #02 倉本浩行さん

 

- こもろ布引いちご園は、どんないちご園?

 

倉本  “ファミリーコミュニケーション”。

今、高齢化社会の中で、おじいちゃんおばあちゃんが田舎にいて、都内にお孫さんやお子さんがいて、盆暮れ正月には田舎に帰ってくる。そうすると3〜4世代が過ごす時間がある。その人たちが私たちのところへ来て、思い出を作ってもらう。そういう場所になれたらいいなという想いで “ファミリーコミュニケーション” を意識してます。

もう1つは “日本一のいちごを作る” こと。日本一といっても一番美味しいというわけじゃなくて、プライドを持とうということ。

武藤 なるほど。自分たちが日本一だと思えるいちごを作ろうっていうことなんですね。

 

倉本 例えば、売店のおばちゃんの笑顔が日本一素敵だ、とかね。とにかく、それぞれ所属しているメンバー全員がプライドを持ってやっていこうということで、“日本一のいちごを作ろう” と掲げています。

その2つがうちの大きな柱になっていて、その中でいろんな方が来ていただけるので、そこに思い出が生まれてそれを持ち帰ってもらうというのをやっています。

 

武藤 素敵。いちご作りはもちろん、思い出作りもすごく大切にされているんですね。

 

倉本 小諸市の小学生はほとんどの子が給食でうちのいちごを食べているんですよ。32歳以下の小諸出身の方は、ほぼ100%食べています。

そうすると、給食を通じて “いちご” っていう思い出を共有しているはずなんです。大人になって子供ができた時、「いちご食べたよね」っていう思い出があるとまた小諸に戻ってきてくれる。場合によっては、職として選択してくれることもあるかもしれない。

そういうところも “ファミリーコミュニケーション” や “日本一のいちごを作ろう” っていうところに繋がってますね。

 

武藤 農産物って作ったものを外に届けるイメージがあるので、ちゃんと外にも地元にもどちらにも届けているのはすごく良いですね。

 

倉本 農産物って、やっぱり採った時が1番美味しいじゃないですか。遠くへ運ぶと味が落ちてしまう。

一番いいものを届けられるのはやっぱり地元の方であって、地元の方に楽しんでもらうことっていうのはとても大事だと思ってますね。

でもね、自分が本当に美味しいと思えるいちごって1年間のうち2〜3日しかないんだよね。まだ課題があるな〜って、いつも思っちゃう。

 

武藤 個人的に1番好きな品種はあるんですか?

倉本 「さちのか」だね。

一番最初に作った品種なんだけど、一番最初に美味しいと思った品種も「さちのか」で、もう20年間それは変わってない。

 

武藤 もともと、いちごはお好きだったんですか?

 

倉本 うーんとね、好きかと言われたら好きでも嫌いでもなかった(笑)。

私たちが子供の頃のいちごは、いちごを潰して砂糖とミルクでいちごミルクを作って食べるのが主流だったの。

 

– これまでやってきて、一番大変だったことは?

 

倉本 今年限定ですけど、コロナ禍なのでやっぱりいちごづくりそのものというより会社経営だよね。

いろんなリスクヘッジもしなきゃいけないし、うちのスタッフは40人くらいいるのでみんなを食べさせなきゃいけないし、そこは日々考えなきゃいけないことかな。農業に関しては、ノーストレスです。

 

武藤 農業のどんなところが楽しいですか?

 

倉本 とにかく、植物は素直。やったら必ず成果が出るし、間違ったことをしたら間違ったなりの成果が出る。そして反応が早い。手を加えると、翌日には何かが変わっているもんね。それに気がつけるかどうかは、スキルが必要だけどね。

 

 

武藤 その楽しさは最初から気づいていたというよりは、やっていくうちに「植物ってこうなんだ」って感じていったんですか?

 

倉本 そう。実は一度大失敗をして、倒産の危機になったんです。そこから猛勉強をして、立ち上げ直そうとした時に、そうした植物の素直な部分に気がつけるようになってきて

いちご狩りもやっているから接客も大事なんだけど、30代半ばくらいまでは、英語すら話せなかったもんね。当時お客さんは海外の人が多かったので、栽培の勉強を並行して英語やタイ語の勉強もしました。当時はお金がなかったから通訳もいなかったし、勉強しながら体当たりでやっていった感じかな。

 

武藤 「やばい!」って状態になったとしても、そこにモチベーションがないと猛勉強するって難しいと思うんですが、その辺りはどうでしたか?

 

倉本 なんとかしなきゃいけない立場だったから、辞めて別の選択肢をっていうのもなかったし、「農業を続けるぞ!」というよりは「この会社を立て直すぞ!」という気持ち。

やっぱり従業員がいて、その人達を大事にしなきゃいけなくて、「失敗しました、ごめんなさい。」とは言えなくて。

 

武藤 倉本さんのその行動量はもともとの性格なんですか?

 

倉本 追い詰められたから(笑)

 

武藤 いろんな壁にぶつかってもなんとかしてきて、今こうして23年目を迎えられているのはすごいですね。

 

倉本 始めた当初、営業らしい営業は1度しかしてないんだけど、軽井沢のプリンスホテルさんと星野リゾートさんへのプレゼンがあったんだよね。

そのとき「クリスマスケーキ用のいちごがないから、すぐに持ってきて」という話がたまたまあって、僕たちは「わかった!」って言って翌日持って行ったんですよ。

そこから今日まで、ずーっとお取引が続いています。だから僕は結構運が良いんです。

 

武藤 すごい。運が良いというか、運に気付いてそれをちゃんと掴む力があるんですね。

 

倉本 そんな感じで、ずっとやってきてますね。