– 小諸は、日本で一番古いジャム用いちごの産地
倉本 他の品種と比べてみるとよくわかるけど、花も小さいし実もほとんどならない“御牧いちご” は、明治時代に小諸で作られていた品種なんです。
諸説あって、明治10年ぐらいから作られてたっていう話もあれば、もう少し後だったっていう話もあるけど、明治45年には小諸の御牧いちごのジャムを明治天皇に献上しているんです。
小諸では当時、御牧いちごを使っていちごの水煮を作っていたんです。
これがいちごジャムの原型で、それを東京に出荷して、東京の明治屋さんとかがジャムに加工して売り出したんです。明治屋さんのマイジャムはもともとは小諸の御牧いちごが原料だったんですよ。
なので、実は『小諸は日本で一番古いジャム用いちごの産地』と言えるのは、全国に誇れることですね。
明治時代は軽井沢には宣教師と呼ばれる人たちがやってきていて、ちょうど観光地としてのスタートの時期でね。今、軽井沢で人気のお土産ってジャムでしょ? そういう繋がりがあるんですよ。
武藤 軽井沢で皆さんがお土産として買われているジャムも、辿ると小諸の御牧いちごにたどり着くんですね。
倉本 あとはね、桃缶。桃の水煮も明治時代から全国に先駆けて小諸で作っていて、それらのジャム類っていうのは小諸の特産品だった。
武藤 4月20日のジャムの日も、小諸が発祥ですもんね。
倉本 そうそう。あれは明治天皇に小諸のいちごのジャムを献上した日。
武藤 農産物の加工品っていうところでいうと、小諸から生まれているものたくさんあるんですね。
倉本 そういった加工品を一生懸命生み出してきたっていう、歴史を持っているのが小諸だね。
武藤 今、御牧いちごを作っているところはどのくらいあるんですか?
倉本 実はいま、本格的に御牧いちごで加工品を作ろうって動いているところはほとんどなくて。
なので、今年4月以降、軽井沢のプリンスホテルさんと小諸市役所農林課と私たちで農業ボランティアを集めて、『御牧いちご復活プロジェクト』を始めるんです。
武藤 楽しみ! こうして歴史あるものが、ちゃんとその土地で受け継がれないのはもったいないですもんね。
倉本 そうですね。でもね、なかなか実にならなくて、苦戦しているんですよ。
武藤 他の品種と比べると、栽培はかなり難しいんですか?
倉本 他の品種と比べると収穫量がとても少ないんです。
いま私たちが作っている他の品種は、一株から大体1.2kgくらい採れるんですけど、御牧いちごは一株から100gも採れないんですよ。
もともと実が大きくならなくて、8〜10gくらいの大きさにしかならないんです。他の品種は、40gくらいになるものもあるんですけどね。
武藤 そんなに差があるんですね。
倉本 品種改良されていないから、なかなか実が大きくならないんです。
倉本 うちがいちご園を始めた時に、この地区にいたおじいちゃんが探し出して持ってきてくれて、長野県の試験場に持ち込んで品種検定したら御牧いちごだった。御牧いちごには1号、2号と種類があって、これは御牧いちご1号という品種として確定されたので、そこから20年以上こうして受け継いで残してあるんです。
武藤 一度はなくなったと思われていたんですね。
倉本 栽培としては、一度なくなりました。
武藤 それが今こうやって育てられているって考えたら、すごいですね。これは、この先も繋いでいかなきゃいけないですね。
– 今後のこもろ布引いちご園
武藤 これまでの色んな挑戦のお話を伺いましたが、この先のこもろ布引いちご園を、どんな風にイメージしていますか?
倉本 地域の牽引役、リーダーとしてやっていかなきゃいけないなという気持ちです。
日本の農業人口が減っていく中で、産業を守るためのある程度の規模の拡大もしていかなきゃと思っています。シェアを取れるような農業がこれから私たちには必要だなって感じてます。
武藤 小諸からこうして先駆者となって動いている方々がいらっしゃると、その周りの農家さんも「じゃあ私も何かやってみよう!」っていう人がどんどん生まれてきそうですよね。
倉本 どんどん増えて欲しいですね。
今、うちは長野県内のシェアでいうと8%くらいを持っているんですが、もうちょっと全国に名前が知られるくらいになりたいですね。
武藤 倉本さんのお話、とてもパワーをもらえます。今後の展開も楽しみにしております!
― 熱い想いを胸に語る倉本さんの言葉から、 “日本一” を目指す覚悟が感じられました。
今回のオモシロ農家さん
農業法人 こもろ布引いちご園株式会社 代表取締役
倉本 浩行 さん
〒384-0071 小諸市大字大久保1173-1
TEL:0267-26-2615
HP https://www.ichigodaira.com/